イケメンになりたいパンピーのぐだぐだ雑記

趣味ごった混ぜの何でもアリの日記です

[煽り?注意]省エネ主義者と怒りという感情[主観的理想論]

(僕の自戒について述べた記事であり特定個人を念頭に置いての記事では無いことを最初に伝えておきます)

 

こんにちは、永川俊文です。最近ブログ書くことに地味にハマってます。

動機ですか?「こんな駄文でも読んでくれる人がいるんだ!」って承認欲求を満たして、日々を生き抜くエネルギーに変えたいなって思いです。

(評判が悪い?のは知ってますよ、けどアホなのでスルーします←)

タイトルにもある通り、僕はどうでもいいことにはエネルギーを節約してゆる~~~く生きたいなって思ってる省エネ主義者です。

 

そんな僕が一番疲れるなって思う感情は怒りです。特に他人に対して向ける怒りです。

(自分に対して向ける怒りも確かに疲れますが、ここに向き合うのは以降ゆるゆるに生きていくために必要な場合があるので致し方ないです。うん。)

 

世間を見てみると、自分に対して他人に多少無礼な言動(人として論外なものを除く)をされた・他人が自分の想定通りに動かなかったというちょっとしたことで、

いちいち目くじらを立ててる人を見かけます。

(※以前の僕もそうでした)(今もそうかもですが、意識して抑えてます)

自分に都合が悪いことが起きたからと言って、いちいちキレるの疲れませんか?

僕はちょっとしたことでいちいちキレる人に対して「自分に矛先が向くんじゃないか…?関わるの躊躇うなあ…」っていつも思いますし、距離を置く傾向があります。

この本文を読んでる人の中にもきっと、同様に””キレやすい””人に対して距離を置く人は割といるんじゃないかなって思ってます。

 

僕は自分の思い通りにならないことが起きた時の感情の持ち方で、

人間の器が見えてくるとまで思ってます。

そんな僕からすると「面白くないな」って感情に任せて人との縁を疎遠にしたり、自分にとっての不都合だけですぐに不快感を表に出すのはまだまだやなって思ってます。

 

自分にとって不都合な言動をする人というのは、””よっぽど感情に身を任せている””方でもない限り、自分では想定出来なかった思考をすることが出来ている人である場合があります。

想定出来ていなかったことというのはまた、

今の自分には足りていなかった部分であることであることがあります。

一度冷静になってこれを考えてみることにより、何もない状況からこれを考えるよりも労せず身に着けることが出来る場合があり、コスパ面で得することが出来ます。

 

そして省エネ面で一番得だなって思うのが、

自分のことに対して自分でキレる必要がないということです。

普段他者に対して肯定的である人のもとには、そうでない人と比して人が集まりやすいです。もし自分が無用に傷つけられそうになった際には、このような人たちが代わりにキレたりして自分の支えになってくれることも多いです。

にもそういう支えてくれる人がいます。

害された時は誰しも疲れると思います。こんな時にキレてばかりいてはさらに疲れ、

立ち直るのに時間がかかるだけだなあって最近思うんですよね。

 

ですが僕も意図的にキレることがあります。それは普段自分の支えになってる人が非礼な言動に晒された時、理不尽な物事に直面した時です。

これは漫画やドラマとかでよくある「自分の為でなく人の為に怒れ・力を使え」というやつです。自分の為でなく人の為にキレる方が良いのは、この怒りが共感されやすいことです。

共感されない感情というものは振りかざしたところで疲れるだけです。

僕は省エネ主義者なのでやらないです。

 

さらに言えばこの関係性、自然と相手の話を聞く・自分の話をすると双方向のコミュニケーションにも繋げやすい気がするので色々得やなって思ってます。

 

最後になりましたが、こんな感じに僕は自分自身への誹謗中傷に対して真正面から向き合う気は無いです。筋が通ってなければミュートすれば良いだけだしね。

ミュート最高!!!!!!万歳!!!!!駄文失礼しました